【物流案件の新規開拓営業】完全な年功序列。「あと40年も絶対無理!」上場企業のブラックな実態、早々に転職を考えた営業マンの話

【物流案件の新規開拓営業】完全な年功序列。「あと40年も絶対無理!」上場企業のブラックな実態、早々に転職を考えた営業マンの話

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
25歳

【当時の職業】
海外貿易を行う物流会社で、メーカー・商社に対し輸出案件の新規開拓

【当時の住まい】
実家の賃貸マンションで母と姉と3人暮らし。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
志望動機は「上場企業」「週休二日制」「転勤異動なし」という、情けないほどの福利厚生重視。
上場企業という、いわゆる「安定」を重要視し、仕事とプライベートを完全に分けられるような働き方を望み、持ち前の演技力で新卒採用を突破し、就職した。

【環境と仕事内容】
1年目は国内輸送手配のルート営業で、実質はほぼ事務作業ばかりのデスクワークであった。
2年目に海外貿易を行う国際部署に異動となり、輸出案件の新規開拓営業を任される。
具体的な仕事内容としては、メーカーや商社が海外へ商品を輸出する時の通関実務・コンテナやトラックの手配・船社の選定などの仲介を一貫して弊社が行う。
その案件を獲得・乗り換えしてもらう為の新規開拓営業を行った。
営業スタイルは、既に取引のある企業に紹介依頼、会社が取得した法人リストへのテレアポを中心に行った。
営業所には所長・係長・主任を筆頭に正社員が10名ほど配置され、主に事務をする契約社員・派遣社員が15名と、正社員よりも多く在籍していた。
自分は2年目のため、初級職という役職で、何の決裁権も持たない新人であった。
割と歴史のある企業であったため、お客様も取引の長い方が多く信頼関係は出来ていたが、仲介会社であるため常にへりくだるような姿勢が求められた。
それゆえにお客様からは威圧的な対応を受けることも度々あった。
基本的に土日休みであったが、繁忙期は土曜日も出勤。
給与は手取りで月16〜20万ほど。
残業手当は15分単位で支給された。

【大変だった時期】
大学新卒で就職し、2年目の部署異動を終えてから大変になった。




【大変だったこと】
新規営業の業務も苦痛であったが、職場の人間関係も大変であった。
正社員よりも契約社員・派遣社員の方があきらかに作業量が多く、何の決裁権も無いにも関わらず正社員と同じ業務を任せられていた。
それゆえに正社員と契約社員・派遣社員の間で大きな確執があり、何かトラブルが起こると両者の責任転嫁が度々見られた。
自分は正社員でありながらもまだほぼ新人であったため、その両者の板挟みになるようなことも多く、精神的な疲労を感じることも多かった。
また、福利厚生を魅力に感じ入社したにもかかわらず、繁忙期は土曜日出社があるなど、想像よりもブラックな要素が多かった。
定時では9時からの勤務開始だが、早朝からの顧客対応が求められる時は8時に出社することもあった。
なおこの時はいわゆるサービス残業である。

【大変だった期間】
2年目から、退職する3年目まで1年間続いた。




【当時の心境】
「ホワイト」「ストレスフリー」を求めて入社を決めたが、実際はブラックな業務形態、ストレスのある人間関係があった。
通勤時間も片道1時間だったため、毎朝の起床が憂鬱であった。
会社の業績は安定していたが、この会社に定年まで勤めるヴィジョンは全く浮かばなかった。

【職場が大変だった原因】
会社の体質として、完全年功序列の人事だったため、正社員はどれだけ実績を出しても勤務年数を積み上げないことには出世できない。
そのためいかに要領よく働き、責任をどこに置くかを優先する。
この体質と社員のモチベーションが原因であった。




【仕事で良かったこと】
やはり新規開拓が成功し、新たな受注が獲得できた時は達成感があり、評価もされて充実していた。
取引先との親睦会に招待されるなど、人脈の広がりや社会人になってからの交友関係など、業務外での楽しさを感じることができた。




【特にひどかった最悪の出来事】
新規開拓と並行して行っていた事務作業において、誤ったデータ読み込みを実行してしまい、取引先からの受注データを手作業で仕分けることとなった。
その結果、通常は1時間で終える出荷作業が半日以上かかり、結果として夜中2時まで作業することとなった。
事務所内だけでなく、倉庫の現場作業員にも迷惑をかけることとなり多大なダメージをもたらした。
当然取引先にも迷惑をかけるとともに弊社の信頼を大きく下げることとなった。
しかしその後、私が誤ったデータ読み込みはすぐに対処していれば回復できたことが判明。
それを指示せず、私のミスを責め続けた上司に問題があると所長が判断したものの、その上司にしか出来ない業務もあるため所長も強くは言えず、結果として私一人の責任として顛末書を本部に提出することとなった。




【相談した人・助けてくれた人】
実家暮らしということもあり、家族の存在が大きかった。
私より先に社会人として働いていた姉によく愚痴や相談をもちかけた。
「どこの会社もそんなもん。」「先輩も上司も最初は新入社員だったから、気にしなくていい。」といったような言葉に救われた。

【改善のための行動】
大変な業務を改善する方法は皆無だったため、自分の働き方を変えた。
具体的には淡々と業務をこなし、なるべく熱意やモチベーションを持たずに割り切ることでストレスフリーを目指した。
職場の人間関係においても、自分は深入りせずあくまで必要な時にしか声をあげないことにした。
その結果、感じるストレスは減ったが、自分自身と職場の成長には何も繋がらないだろうと感じ、やはりモチベーションは下がった。




【現在の状況と心境の変化】
3年目を迎えてすぐに転職。
会社や職場の体質はすぐに変わらない、もしくは変わらないだろうと確信し、全くの他業種に転職することを決意した。
結果、やはりモチベーション高く、責任感を持って仕事に取り組むことが自分には合っており、人生の中での充実感を得るのに仕事という時間は重要であると実感した。
仕事とプライベートの両立も出来ており、遥かに豊かな生活を送ることが出来ている。

【学んだこと】
仕事は、ただ業務をこなしお金を稼ぐためのものではないということを学んだ。
仕事を通しての人との出会いや、人生の充足感を得るための機会ともなる貴重な時間だと感じた。



【当時の自分へのアドバイス】
仕事をただの「労働」と捉えず、自分の人生の中の大きな活躍の場として、はたしてどんなことがしたいのか、どんなことをする時が楽しいのか、今一度自分自身を見つめ直すべきだと伝えたい。
企業の価値や福利厚生は表面上の情報であって、実際の業務内容や環境は不透明で不確実であるということも踏まえて、企業の選定を行うべきである。